弘法の三つ井戸
地方にはいろいろな伝説・昔話があり、ここ埼玉の所沢にもいろいろな話伝えられています。
そんな中の一つをご紹介します。前にも「河童の詫び証文」を紹介しましたが、今回は三つ井戸のお話をします。
昔、一人の旅僧が所沢にやってきました。長旅でのどが渇いたので、一軒の百姓家を訪ね「のどが大変乾いています、どうかいっぱいの水をください」
と頼みました、するとその家の娘は「それはお困りでしょう、いま水を汲んできますからちょっと待っていてください」といって出かけましたが、
なかなか帰ってきません。ようやく帰ってきて「お待たせしました、さあお飲みください」と水を差しだしてくれました。
水をおいしそうに飲んで、「ずいぶん時間がかかりましたがどうかしたのですか」と尋ねました。
娘は「ここは水が不便で遠くまで水を汲みにいかなければなりません」と答えました。
それを聞いた旅僧は水汲みが大変でしょうと不憫に思い、持っていた杖で三か所を指し示して「ここを掘りなさい」といって」立ち去りました。
その場所を村人たちが半信半疑で掘ってみました、すると少し掘っただけで水がこんこんと湧き出てきました、夏の暑い時でも枯れないこの井戸を「三つ井土戸」と呼びました。
所沢というところは水が不便な場所といわれ、近隣の人たちは「所沢に嫁をやるな」といわれていました。
ですのでこういう話が伝えられたのだと思います。
武蔵野三十三観音ー第九番札所ーーー実蔵院
実蔵院は所沢市の中心街に面しているのですがお寺の中はとても静かなところです。
真言宗豊山派で山号は「野老山」、天平七年(1352)南北朝時代の武将「新田義興」によって開基されました。
寺の古文書等は宝暦3年(1753)と文政7年(1824)の2度の大火で焼失してしまい、詳しい縁起等は残されておりません。
境内には毘沙門天堂・聖観世音菩薩像があり、又、可愛いお地蔵さんも何体か置かれています。
所沢の歌人「三ヶ島葭子」のお墓もあり、義弟に俳優の「左卜全」がおりました.
ここの参道では「三八の市」が開かれます、歴は古く江戸時代の頃に始まり、
所沢の中心街の御幸町~元町にかけての銀座通りで開かれていたのがのちに実蔵院の参道で開かれるようになりました。
又、「新三八の市」として毎年3月の第2日曜に所沢市内のあちこちで開催され大変な賑わいをしています.